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作 家

大月光勲 『能面花鏡』(求龍堂、2019年刊)より

八十 夜風鬼 やふうき —角切り—

異形の鬼面

 我が友人、大月光勲氏は、同じ町内の住人、我が家から数十メートルのところに住まいされ、ひたすら能面を打っておられる。我が家の隣地に樂美術館があり、楽焼450年の先祖歴代の樂焼の作品が収められているが、そのコレクションに十数面の能面がある。どれも400年前の能面で「河内(★ルビ かわ ち)」とか「是閑(★ぜ かん)」とか、有名な作者名も刻まれている優品だが、それを大月氏に参考として順番にお貸しした。数ヶ月お預けし、大月氏はその面の写(★うつし)を作られた。そのお礼にと大月氏は私に鬼の創作面を作ってくださった。それが今回特別出品している「夜風鬼」であるが、大月氏はその面の創作にあたり、私の作品・焼貫(★やき ぬき)黒樂茶碗「砕動風鬼(★さい どう ふう き)」の茶碗に痛く感激され、それをイメージして作られたという。「砕動風鬼」は能を大成した世阿弥の書物にある言葉。能の鬼には二種類の鬼が登場する。一つは「砕動風鬼」、人は様々な苦しみ遺恨により鬼ともなるが、この「砕動風鬼」なる鬼は、姿は鬼の形象なるも心の奥にはまだ人間の心を宿しているという。さてもう一つは「力動風鬼」、いうまでも無くこれは心も姿もまさに地獄の鬼である。

 すっかり忘れていたある日、大月氏からできたから持って行きたいというお知らせがあり、私は思わず期待を膨らませながら大月氏の来庵を待った。  大月氏の鬼は憂い深く皺となって刻まれ、激しく口を歪め、むき出された歯は不揃いにひん曲がり、鋭い眼光を発する両目は怒りと悲しみがもつれ合いながらともに眼球深く宿しているようであった。

 そのすさまじいばかりの相貌、大月氏の渾身の鑿(★のみ)の打ち込みの迫力が伝わってくる。その鬼の名は「夜風鬼」、このような鬼は今までの能面にはない。  私はしばらく言葉なく「夜風鬼」を眼前に翳(★かざ)し食い入るように眺めていた。  この激しさ、このあまりにも荒々しく波打つ鬼の怒りを、どこかで内面へと収めなければならない。自身でさえ持ちきれないほどに表立ったこの痛々しいほどの怒りの激しさを、どこか内なる心の世界に収めなければ、この「夜風鬼」は永遠に地獄の世界を彷徨わなければならない。鬼ならばそれも運命、己の業と言えようか。

 私は突然あることを大月氏に提案した。  「大月さんこの鬼の角を根元から切ってくれませんか」  大月氏は初めびっくりされた様子であったが、再び手に取りじっくりと「夜風鬼」と対峙し、やがて「よくわかりました。やってみましょう」と私の突拍子もない、失礼であったかもしれない願いを聞き届けてくださった。

 それから数ヶ月、随分長い月日であったが、ある日「樂さんできました」と持ってこられた。「夜風鬼」の金色の角は見事に根元から切られ小さな木箱に収められ、その切り口は鋸の歯跡も生々しい素肌の木がむき出しのままで残されていた。  さすがに大月氏であると私はいたく感激し、大月氏の能面師としての力量の深さに敬意を抱いたのである。能面は翁面などの古作面を除きしっかりと彩色している。まして鋸で引き切ったままの真新しい傷口のような切り跡をそのままに放置することはない。  たかが角を切るのに数ヶ月も大月氏はかけた。どれほどの熟慮が繰り返されたことか。そして決断された。能面の作法もしきたり約束事も全て跳ね除け、何も彩色を施さずにこのままの木地の切り口を残された。

  私は物言わず角を切られた「夜風鬼」を凝視した。感激がこみ上げ涙が出そうになった。世の中を恨み、煩悩の全てを背負って激しく怒り狂う「夜風鬼」の激しく闇い怒り淵にその怒りゆえの悲しみを宿し、そしてその悲しみの淵には、それゆえの幽かな慈愛の灯火が消えずに灯り続けていることを私は見た。  人は鬼となる、世の悲しみや矛盾や怒りや憂いを一身に背負って人は時として鬼となる。この世への、生きとし生けるものへの愛が、あなたへの慈しみの心が深ければ深いほど、その容貌は激しく歪み震え怒りを深く刻む。

  能面は演じられてこその面である。大月氏の渾身の作「夜風鬼」が舞台の上で能楽師の魂を奪い狂おしく舞われることがあるのだろうか。  きっとあるまいと私は思う。  たとえ、能舞台という演劇空間に舞うことはなくとも、この「夜風鬼」こそは舞台を離れいつでも我々それぞれの人の心の中で悲しく切なくそして慈愛を込めて舞っているだろう。

 小さき大きな決断・・・・角切り A small but major decision . . . Cutting off the horns

陶芸家 樂吉左衞門 (直入)

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