Artist

作 家

梶岡亨展 / Toru Kajioka

白土の闇があけるとき(一部抜粋)

岡山理香 Rika Okayama
東京都市大学(共通教育部 人文・社会科学系 教授)

 〈マチエール〉絵画を現実にある物体として捉えると、それぞれ、形、色彩、マチエールを持っている。マチエール、つまり画面の肌理、あるいは表面の物理的、物質的構造は、西洋近代絵画の中で、印象主義をはじめ多くの画家たちによって、徐々に意識的に扱われるようになった。そして、マチエール自身が造形言語の語彙として表現力を持つようになる。光を表すには、色彩というよりは、マチエールなのだ。白は、白色ではなく、白土のように。白雪の降りつもる大地、あるいは陶磁器の土。黒は、黒色でも茶色でもなく、半透明の漆のように。また、鉄釉を漆黒色に仕上げた瀬戸黒のように。あるいはコールテン鋼の錆のように、即物的で飾り気のないその質感や強度がマチエールとして立ち上げられている。

 梶岡の作品群は、離れて見れば視覚的であるが、近づいてみると視覚性は弱まり、さまざまな画材による表面が触覚性を感知させる。より注意深く画面を見ると白い、または赤い細い糸のようなテープが何本も貼り込まれているのに気づく。このテープは、平面を分割している。マーク・ロスコーは、色や他のどんな要素よりもmeasures (寸法)が重要であると語っている。つまり、キャンバスをどのように分割するのか長方形の面積の比率が象徴的意味を持つというのだ。このテープは、キャンバスの二次元に三次元の空間を創り出すための装置でもある。線と面が複雑に絡み、立体感と奥行きが生まれる。そして、これを表面に張るという行為は、画家がその作品に文字通り手を加えているしるしであり、同時に物理的につくられている証でもある。

 画面におけるあらゆる画材の物質性は、眼のために表されるが、ついに触れたくなるようなマチエールが現われる。触覚をともなって、初めて理解できるかもしれないと思わせるほどにそのマチエールは雄弁である。梶岡の作品群は、遠くからみると調和が保たれた端正な佇まいだが、近寄ってみることでマチエールによる直截的な親美性を感得できる。

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