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梶岡亨展 / Toru Kajioka

無限空間の生命力--梶岡亨を読む(一部抜粋)

潘 力 / パン・リー
上海美術学院教授,シカゴ大学客員研究員, 東京藝術大学客員研究員

  伝統的な絵画技法とデジタルツールを融合:梶岡は、琳派の構図や装飾、古典的な面白さを継承・発展させ、色彩美や芸術美の壮大な理想として金銀を用いた。彼は、金属鉄、水晶、漆、樹脂、岩絵具など、重厚で質感のある複合素材を自由な画面構成に介入させ、日本の「黄金時代」以来の金銀像の滑らかな平面性を打ち破り、素材そのものの空間が相互に絡み合い、変化に富んだ立体空間が画面の幻想空間と組み合わさって無限に広がる豊かな視覚効果を形成している。変化に富んだ立体空間と絵の幻想空間が組み合わさることで、無限に広がる豊かな視覚効果が生まれる。このような非墨の素材は、林派絵画の華麗さや装飾的な面白さを表現することに成功しており、ある程度は水墨画や禅の雰囲気も醸し出し、地上から離れた浮遊感、刻々と変化する不確定性、地上世界から遠く離れた一種の非現実性を示している。

この新しい視覚空間は、自由な遠近法と確固たる物質感の組み合わせによって形成され、京都のきらびやかな足跡を背負い無限の定義空間を示し古都の繁栄と現世の浮世離れした生活を結びつけている。梶岡自身が「絵を描く目的は明確ではない」と語ったように、彼の絵に潜む無限のエネルギーは、内面からの秘めたインスピレーションが注入されたものである。荘子曰く「鞭の一足、一日にその半分を取っても尽きることはない」。無限に割り切れる素材と数学的な無限性のアイデアといえば平面には面積がなく無限に広げることができるが、梶岡の作品は抽象的な宇宙を表現するために限られた平面を使い、大きさ、幅、薄さ、厚さがなく、厳密な論理に基いて、限られた複合素材の物質性の中で、素材が絵に面白く神秘的な絵を与えるように、この面白くて神秘的な絵は、絵の内容に限定されないだけでなく、素材自体の自然な性質、それが無限のエネルギーの源である。このような面白さと神秘性は、絵の内容に限った事ではなく、素材そのものの自然な性質から来るものであり、絵の中の見かけの自然物を通して、私たちは絵の中の無限の生命を見ることができ、混沌の中で精神が生まれ変わることができる。

梶岡は、この無限の抽象空間の中で、宋代の筆法による意思の花の象徴のような造形的な花を描き、出所もなく、好きなように行き来し、根のない花は大地から切り離され、突然、枝枯れした葉の上に花を咲かせる。ちょうど詩人ブッダ・モクシャが『梵唄』の中で「虚空の花は散り、群れ、心配の木はまばらに生い茂る」と書いたように、無限の空間は無限の生命への道を持っているように見える。まるで、宇宙へとつながる生命の結節点が空間にあるかのようだ。 また、筆画の枝折りの技法が用いられており、枝だけが見えて根は見えない。根のない生命は、他人の道に落ちている塵のようなものだ」。梶岡の絵に描かれた根のない花や折り畳まれた枝は、地面から切り離された空気感を表現するためのもので、絵に哀愁と禅の趣を添えている。宋代の筆画は、中国の花鳥画の最盛期であり王道的で野趣に富み「道教は自然の法則」であり、エコロジーの自由を意味する。梶岡は、そうした繊細なイメージを生かし、豊かなレイヤーを持つ総合的な素材によって構築された豪華絢爛な混沌の世界に生命の実相を浮かび上がらせようとしている。

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